意思 3000字編

ぱたからカルテ

「道倉さん、待ってたんですよ!」
ケアマネージャーの立川さんの差し迫った声に迎えられた。

たまえさん宅のリビングに一歩踏み入れると、気づまりな空気に押しつぶされそうになった。
たまえさんは目に涙を浮かべ、切なげにこちらを見上げると「うーうー」と声を出した。
横でご主人も目線を落とし、立ち尽くしている。

「ど、どうしたんですか?」

立川さんの額にはじっとりと汗が浮かんでいた。
「たまえさんが言おうとしていることがわからなくて。いろんな質問をしていたら、だんだん興奮してきはって」

「わかりました。たまえさん、ちょっと落ち着きましょうか」
車いすに座るたまえさんの背中をゆっくりさすった。
「お茶でも飲むか?」ご主人がたまえさんに声をかけ、みなさんの分も淹れますわと続けた。

たまえさんは自分の隣の椅子を引っ張って私に座れとうながし、少し恥ずかしそうにティッシュを目元に当てた。

訪問カバンを床に置き、上着を脱ぎ、たまえさんの引いてくれた椅子に座った。

「何が言いたいか、まだわからないんですね」立川さんに確認する。
「そうなんです。しつこく聞いてしまったのが、あかんかったんやと思います。あれこれ聞いているうちに私も混乱してしまって、私が悪いんです」と立川さんは幾度も反省のことばを口にした。

「大丈夫ですよ」私が言うと立川さんは小さく頭を下げた。

ご主人が淹れて下さった、ほうじ茶をいただく。

「ふう、おいしいですね」
ほうじ茶から上がる香しさと湯気がみなの肩の力を一気に抜いてくれたようだ。

 

「たまえさん、何のお話でしたか?」
たまえさんが八の字眉毛をさらに下げて話し始める。
「うーん、あー、あっ、え?え、え…」
たまえさんのハスキーな声がかすれて途切れる。

「『え』?『え』ですか?」

たまえさんはちがうというように首を振った。

「違うんですね。『え』じゃないんですね」

うなずくたまえさんは変わらず困り顔のままだ。

「えー、え、あー、うーん」
声は出るがことばにはならない。

重度の失語症がある、たまえさんとのやりとりは難しい。
こちらからの簡単な問いかけはおよそ理解して、うなずきや首ふりで反応できる。
声は出てもことばにならないことが多く、ゼロから本人からの訴えをくみ取るには工夫が必要だ。

「たまえさん、ちょっと聞いて下さい」
たまえさんの腕に手を置くと、たまえさんは口を閉じ、こちらを見返した。

話題を絞り込まなければ、まずは私たち2人の定番の話題から。

「お話はお父さんのことですか?」
たまえさんは首をふった。

「アイスクリームのこと?」
横目でたまえさんの目をのぞき込むと、たまえさんはプッとふき出し、ハハハと笑って、首をふった。
よかった、すっかり気持ちを切り替えられたようだ。

「デイサービス?」
たまえさんは首をふり続ける。

「リハビリ?」
たまえさんの目がキラリと輝き、「おーー」と声をあげた。

「わかりました。リハビリのことですね」

「リハビリ…それさっき私もたずねたはずなのに…」
立川さんが小声でブツブツと言っているのが聞こえる。

「たまえさん、リハビリのことで何か言いたいんですね。何でしょう?」

たまえさんは何か言いかけたがあきらめたように口を閉じた。

「説明はちょっと難しそうですね。じゃあ、待ってください」

訪問カバンのファイルから取り出した紙に3センチほどの大きな字で書く。

リハビリ
理学 言語

たまえさんは週に2回の言語療法の他に、身体のリハビリである理学療法も受けている。

たまえさんに見せて、問うた。
「理学ですか?言語ですか?」

たまえさんは迷わず「言語」を指差した。
「これ読めますよね?」とうながすと、たまえさんは「げーんーご」と一音ずつ音読した。

「たまえさん、すごい!」
立川さんが拍手した。

たまえさんは照れ笑いを浮かべている。

「わかりました。言語なんですね。そっかあ、言語で何か困ってますか?」

たまえさんは首をかしげる。

「質問がわかりにくいですね。言語で何か変えたいですか?」

たまえさんは自信なさげにうなずいた。

月   火   金
言語  理学  言語

書いて示すと、たまえさんの左人差し指が「金」を指した。

「金曜日の言語の何かを変えたいんですね。時間かな」


言語
11時〜11時40分

と書き足した。

たまえさんは「あっ、おーおー、お」とことばにならない声を出し、人差し指で書くような仕草をする。

「書いてみますか?」ペンを受け取ったたまえさんは


言語

の上に大きくバッテンを書いた。

「どういうことやろ?」立川さんがつぶやく。

「これは、たぶん、金曜日の言語をやめたいってことですかね?」
たまえさんはおーとうなずく。

「金曜日をやめる。リハビリを月曜と火曜と週2回にしたいんですか?」
月と火に丸をつけながら聞いた。

たまえさんは、首をかしげ、眉毛を下げている。

「ん?何か違いますね。何だろう。金曜日をやめることはいいです?」

うなずくたまえさんを見て、テーブルを囲むみながそろって首をひねって考えている。

太陽が雲の合間に入ったのか、窓から差し込む日射しがスッと暗くなったように感じた。

 

ふと、ここ最近のたまえさんの様子が頭をよぎった。

「あっ、ひょっとして」
バッテンがされた、 言語 から矢印を伸ばし、理学 と書く。

「金曜日を理学療法に変えたいということ?」

たまえさんは何度もうなずいて、晴れやかな顔でおーおーとうれしそうな声を出した。

「そういや、ここんとこ、膝が痛いってゆうてたもんなあ」
ご主人が言うと、たまえさんは左膝を押さえて、うーと眉毛を下げた。

「たまえさん、膝は痛いですか?」
「いあ、い、いあ、いー」
たまえさんは私の質問を復唱して答えようとする。
「落ち着いて、もう一回。膝は痛い?」
「いーたーいー」

立川さんがまた拍手する。

「でも言語が減るんやで。ほんまにええんか?」
ご主人がたずねるとたまえさんは月曜を指差した。

「月曜日にあるから大丈夫ってことですかね?」
「だーいーじょーぶ」
たまえさんは私のことばを上手く用いて、にっこりとうなずいた。

「俺は心配やけどなあ。言語は減らさんで、理学療法を増やすゆうのは無理なんですか?」
ご主人が立川さんにたずねる。

「えーと、上限があって、これ以上は増やせないんですよ。介護保険で訪問看護でのリハビリは週に120分までと決まってるんです。ですよね?道倉さん?」

「そうなんですよ。今40分ずつ3回入っているので、増やすのは難しいです」

「でも、たまえは要介護4です。立川さん、前に確か点数は余ってると言うてはりませんでした?」

「はい。それはそうなんですが、介護度は関係なく、週の上限が決まってるので」
立川さんが申し訳なさそうに身をすくめる。

「ふーん、そうゆうもんか」ご主人は窓の方を向いたままだ。

「う~う~う~」
そのとき、たまえさんが先ほどまでとは全く違う声を発した。

その声はまるでご主人を優しくなぐさめているように聴こえた。

場の雰囲気がふわっとほどけた。

「大丈夫やって?まあ、お前がいいなら、いいけどな」

立川さんが一堂を見渡した。
「月曜日は言語、火曜日と金曜日は理学療法に変更しますね」

「はいっ」
たまえさんのハスキーで力強い声がリビングに響いた。

 

たまえさんの別ストーリーもあります。

共犯

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