杞憂

信号待ちでポケットに振動を感じ、スマホを取り出すと、事務所からのメールだった。
「松山さんより。今日のリハビリはお休みさせてくださいと連絡ありました」

松山さん、自分で電話してきたんだ、初めてだな。

滅多なことで休んだことのない松山さんだけに、体調でも悪いのだろうかと気になった。

松山さん、独居だし、失語症もあるし、何か困ったことになっているのかもしれない。

次の訪問先のマンションの駐輪場にバイクをとめたところで、松山さんの携帯に電話してみることにした。

数回の呼び出し音の後、「はい」と松山さんの少ししゃがれ気味の声が答えた。

「リハビリの道倉ですけど」

「あっ、道倉さんか、あの、あの、さっき連絡させてもうてんけどな」

「はい、連絡ありがとうございます。今日はお休みでと聞きました。
松山さん、どうされました?」

「どうゆうんかなあ。今日、あのう、あのう…」
松山さんのことばが完全に止まってしまう。
スマホを耳にギュッと押し付けたが、松山さんの呼吸音しか聞こえてこない。

「大丈夫ですか?具合が悪いんですか?」

「ちゃうねん、そうやなくて。今日はな、あのな、急にな」

「急にですか?」

「来んねん」

「来る?」

「あの子が来んねんて」

「あっ、娘さんですか?」

「そう。あの子らも連れてくるってゆうからな」

「そうですか!お孫さんも!よかったですね」
松山さんはお孫さんと過ごす時間をとても楽しみにしている。愛用のフィルムカメラで撮った写真を居室の壁一面に貼るほどに。

「今日はな、あの、あの、学校が休みやねんて。そやから、大っきい子も来んねんて」
松山さんの声のトーンが跳ね上がる。

「お孫さん2人とも来てくれるんですね」

「だからな、悪いんやけど」

「わかりました」

「これからな、あの子らのな、あの、あれを買いに行こう思てんねん、あのう、チョコレートやらジュースやら何やら」

「お孫さんたちをおもてなしするんですね」

「せやせや」

「それはお忙しいところ、すみません」

「いやこっちこそ、悪かったな」

「いえいえ。また来週、お孫さんたちのこと聞かせて下さいね。失礼します」

「おお」

松山さんのうれしそうに弾む返事が耳に残った。

ニヤけそうになる口元を引き締めて、スマホをポケットに戻し、重い訪問バッグをよいしょと肩にかけた。

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