トリガー

座卓の下にはフワフワした茶色いカーペットがひかれていた。たしか先週までは直に畳に座っていたと思うのだが。
ご主人がして下さったのだろう。
カーペットの端は細田さんが足を引っ掛けないように押しピンで留められていた。

掃きだし窓は開いているが、西日が差し込む部屋は心地よい温度だ。

細田さんは座卓の6時の位置に、私は3時の位置に座っている。

「先週お伝えした通り、今日はことばの様子を見させていただきます。毎年この時期にやっているあれです」

図版が入った黒いファイルを座卓に置くと、細田さんはわずかに眉間にシワを寄せた。
「あ、あ、あー、あれね」

「細田さんには簡単なものも難しいものもありますけど、できる範囲で頑張っていただけたらうれしいです」
「はい」細田さんはうなずいた。


「私が言うものを指差して下さい」
細田さんの細い指が、素早く的確に絵を差していく。

「はい、順調ですね。準備をするので、少しお待ち下さいね」
細田さんは小さく息を吐いて、足をくずした。

座卓に、ハサミやマッチなど10個の物品を並べる。

細田さんの能力なら、ここからが本番だ。

「お待たせしました。いきますよ」
細田さんが慌てて、正座をし直す。

「これらの品物を使って、私が言う通りに動かして下さい。私が言い終わったらはじめて下さい。一回しか…」
「ゴーー」という轟音が窓の外から聞こえてきた。
飛行機が低い位置を飛んでいったようである。

「では、続きを。一回しか言わないのでよく聞いて…」
「いーしやーきいも。やきいも」と突然、しゃがれ声のアナウンスが聞こえてきた。

「細田さん、すみません。窓を閉めてもいいですか?」
「い、い、いいよ」

窓をピシャリと閉めると、焼き芋屋の声は少しだけ小さくなった。
だが、車が近いのか、まだ聞こえてしまう。

「ちょっと待ってみますかね?」
細田さんはうなずいた。

しばらく待つも、団地の敷地内で商売が活気付いたのか、焼き芋屋は行き過ぎる気配がない。

ダメですねと笑うと、細田さんの口元にも微笑が浮かんだ。


緊張が解けてしまった雰囲気に、あきらめ半分で聞いた。
「いーしーやーきいも、やきいも、聞くと食べたくなりません?」

「いーしーやーきいも、食べたい」
細田さんがうまく引用して答える。
ことばにはいつもの吃りのような音の繰り返しがなかった。

「細田さん、すごいです。いい感じです」

「いーしーやーきいも、おいしい」
「いーしーやーきいも、懐かしい」
細田さんからは次々になめらかにことばが現れ出てきた。

「もう買いに行っちゃいますか?」

「いーしーやーきいも、買いたい」
細田さんの手はすでに愛用のポシェットにかかっていた。

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