伝わる

「いやあ、今日も暑かったですね」
首に巻いたタオルで額から流れ落ちる汗を拭いた。

辰夫さんのお宅の近所をぐるっと歩いた数百メートルで全身の汗が吹き出していた。

辰夫さんはポロシャツを脱ぎ、シャツひとつになって、ふうふうと息を吐きながら、エアコンのリモコンを触っている。
エアコンをつけたまま出かけたのだが、それでは足りないと設定温度を下げているのだろう。

辰夫さんは失語症があるが身体の麻痺はごく軽度で、近隣に住む娘さんの援助と訪問介護を利用して生活している。

元々、几帳面な性格らしく、居室は今日もよく片付いており、男性の一人暮らしとは思えないほど、こざっぱりとしている。

 

「辰夫さん、いっぱい汗をかいたので水分とって下さいね」
声をかけると、辰夫さんは部屋を出て行った。

廊下をミシミシと踏み鳴らす音が遠のいたと思ったら、続いて冷蔵庫がパタンと閉まる音が聴こえた。

また、ミシミシという音が近づいてくる。

 

「うい」辰夫さんがペットボトルのお茶を僕の目の前に差し出した。

「ありがとうございます」
今までの経験から、断ると辰夫さんの機嫌が非常に悪くなることを学んでいるので、素直に受け取っておく。

辰夫さんは一瞬だけ顎をしゃくってみせた。
「飲め」ということのようだ。

「いただきます」

辰夫さんは僕がお茶を口にする様子を見守ってから、自分もペットボトルを開け、ごくごくとのどを鳴らして飲んだ。

「ごちそうさまでした。暑い日が続くので熱中症には気を付けてくださいね。今日はこれで失礼します」

 

外の日差しはますます強まっている。

辰夫さんも表に出てくる。
見ると手にはさみが握られている。

辰夫さんは窓を覆うように茂っている緑のカーテンにはさみをむけた。
振り向くと、手には大きなゴーヤが2本。

辰夫さんが僕にゴーヤを差し出した。

慌てて、持っていたバイクのヘルメットを置き、受け取る。

辰夫さんはズボンのポケットから、スーパーの袋を引っ張り出し、どうぞと言うように口をひろげた。

僕はゴーヤを袋に入れた。

辰夫さんは僕の胸に押し付けるように、袋を持った手を伸ばした。

「立派なゴーヤですね。いただいていいんですか?」

辰夫さんは少しはにかんで、小さく2回うなずいた。

「ありがとうございます。いただきますね。また来週お願いします」

「おう」

 

身体が風を感じ始めるころ、いつものようにバイクが角を曲がるまで見送ってくれる辰夫さんの姿がバックミラーに映った。

ヘルメットのなかで自然に口元がゆるんだ。

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