歩く

いつからだろう。
歩いているとき、周りを見るようになったのは。

新しい今の身体のはじめのころ。
歩くときは歩くことだけ。
見ていたのは足元だけ。
歩くだけで精いっぱい。

5年経ったらしい。
脳梗塞になって。

1年か、せいぜい2年くらいに感じる。

ただそのとき目の前にあること。
それを繰り返してきた日々。
晴れないモヤのなか。
印象に残らない日々。

ただ覚えていること。

とにかく、歩いた。
大雨の日以外は、歩いた。
今の俺にできることはこれだけと思って、歩いた。

靴がすぐダメになる。
特に上がりにくい右足がすり減る。

移り変わる季節。
ここ1年、2年、頭に残るようになった
去年の桜はとか、おととしの暑さはとか、そんな風に。

気持ちにことばが追いついてきたのか。
自分が感じたこと、考えたこと。
ちょっとずつ残ってきた。

一人暮らしで決めている。
週に1回、自分で買い物に行く。

背中にはリュックサック。
左手で杖をつく。
右手はまだあまり役に立たない。
20分歩く。

アパートから1番近いスーパー。
左手でカートを押す。
置いてある場所、だいたいわかっている。
なるべく行ったり来たりしないように。
ぐるりと1周20分。

気をつけること。
カゴをいっぱいにしないこと。

前に何度か失敗した。
リュックサックに入りきらなかった。
「ごめんなさい」と返した。

カゴに8分目。
ペットボトルの水は2本。
これがぎりぎり。

財布をカウンターに置く。
札で払う。
おつりはポケットに。

小さいお金はめんどくさい。
貯めておいてヘルパーに使ってもらう。
買い物を頼むとき。

もう少し右手ががんばってくれれば。
財布を持てるのに。

帰りは行きの倍かかる。
途中で休む、3回ほど。

ひかげがないから、大きな木の下で休む。

大きな木の近く、幼稚園がある。
最近、気づいた。
子どもの声が聞こえる。

頭のなかがぐわんぐわんする。
セミの声と子どもの声がケンカしている感じ。

娘が小さかったとき。
セミをつかまえてほしいと言った。
つかまえてやったらこわいと泣いた。

リュックの肩にかかる重さ。
小さな娘を背負ったときの重さ。

重さと昔の記憶がつながる。

歩き始める。
歩きながら娘のことを考える。

うん、余裕がある。
集中しなくても、もうだいじょうぶ。

それでも歩く。

歩くことが俺の今の仕事。

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