デザート

直子さんには記憶障害がある。
病気より前のことはよく覚えているのだが、新しいことを覚えるのが苦手だ。

「直子さん、一週間変わりはなかったですか?」

「ないです」直子さんは即答した。

「えっ!あったじゃないか」
夫の雅司さんのことばに、直子さんの笑顔は一瞬でかげり、何かあったかなあとつぶやいた。

「カレンダー見てもいい?」
助けを求めるように直子さんが上目遣いでたずねる。
もちろんですよと私が言うより早く、直子さんは立ち上がり、壁にかかったカレンダーに向かう。

カレンダーにはカラフルな付箋がいっぱい貼られている。

直子さんは付箋の文字を追っていた指を止めた。

「そうだ。日曜日、高校のときの友だちと3人で会いました」

「いつもの3人ですかね。どこでですか?」

「えーとね、『風見鶏』だったかな、お父さん?」

風見鶏は直子さんの友人のお一人が経営している喫茶店の名前だと以前に聞いたことがある。

「そうじゃないだろ?今回は違ったじゃないか」
直子さんは首をかしげたまま、固まっている。

「ほら、これ」
雅司さんが直子さんに名刺大のショップカードらしきものを手渡した。

「ああ、そうそう。ここに行きました。クッチーナ  ヤマモト。あっ、そうだ!」
直子さんは床に置かれたトートバッグの中から、タブレットを取り出した。
「道倉さんに見せようと思って、写真撮ったんだった」

「見せてください」

「ちょっと待ってね。えっとね、これこれ」
直子さんはくるりとこちらにタブレットを向けた。

「これがサラダでしょ。で、トマトのスープに」
直子さんは手馴れた様子で、写真をスクロールしていく。

「カマンベールチーズのフライ、これがねえ、おいしかったんだ。ブラックペッパーが効いててね。もう一つ追加しようかって話したんだけど、ほら、ピザにパスタね、これでお腹いっぱいだったから」

「どれもおいしそう。がんばって写真撮って下さったんですね」

「へへへ、でも、デザートだけ忘れちゃった。盛り付けがかわいかったから、3人で興奮して」

「どんなデザートだったか覚えてますか?」

「もちろん、覚えてる」

直子さんはテーブルに丸く大きな円を描いた。

そして、円のなかのあちこちに手を置いていく。

「ここにティラミスとババロアでしょ。ジェラートが、そうカシスだったと思う。あとフルーツもあった。おなかいっぱいだね、食べられるかななんて言っていたのに、ペロッといけちゃった」

「なんだ、行ったことも忘れていたのに何を食べたかはよく覚えているじゃないか」
雅司さんがからかうように言うと、直子さんはきっぱりと言い返した。

「おいしいものは忘れないの!」

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