役割

「道倉さんは、甘いものはどう?好きですか?」
声をかけてきた、佐知子さんのご主人の手元にはコーヒーの準備がされている。

佐知子さんの言語練習が終わり、ほっと一息ついたところだった。

「はい、好きですけど…」

「よかったら、チーズタルトがあるんです。いっしょにどうですか?」

「いただいていいんですか?」

「みちくらさんがたべてくれないと、わたしもたべさせてもらえない!」
左半身に軽い麻痺がある佐知子さんは、少したどたどしい発音で言う。

「遠慮なくいただきます」
私が頭を下げると、佐知子さんは愛らしく、ふふふと笑った。

ご主人は私の前だけにフレッシュを置く。
佐知子さんとご主人はブラック派だ。

佐知子さんの近ごろの様子をうかがいながら、コーヒーをいただいた。

 

帰り際にご主人がおずおずと言い出した。
「来週はこの時間、僕が不在で、家内一人でして…」

「ご主人いらっしゃらなくても大丈夫ですよ」

「コーヒーの用意はしていきますんで」ご主人が言い添える。

「いえいえ、お気づかいなく…」「だいじょうぶ。わたしやる」
私のことばを遮るように佐知子さんが言い、まかせてと言わんばかりに右手で自分の胸をポンとたたいた。

 

翌週、訪問すると、佐知子さんはすでにテーブルにコーヒーの用意をしていた。

「さいしょにコーヒーにしようよ。ほんとはいつもそうしたいの」

「じゃあ、先にいただきましょうか」

佐知子さんは椅子に座り、用意したカップにコーヒーを注いだ。
少々動きづらい左手はソーサーにそっと添えられている。

「素敵なカップですね」
どうぞと出された、白地に濃紺の柄が入ったカップを手にとって言うと、佐知子さんはそうでしょうと顔をほころばせた。

「いちばんのとっておき。カップたくさんあるのに、おとうさんはまいかいおなじで、げいがない。それから、これ、あついからきをつけて」

佐知子さんはカップとおそろいの柄のミルクピッチャーをテーブルに置いた。

「フレッシュはだめ。ミルクじゃないと」

佐知子さんのいれてくれたコーヒーを一口飲んで、驚いた。

「わあ、おいしい。豆、いつもと違います?」

「いっしょ。いれかたにちょっとしたコツがある。びょうきのまえはわたしがいれてたのよね。いまはおとうさんがやっちゃうけど、わたしのほうがうまいんだから。ほんとはね、えきまえのイタリアりょうりやさんに、ビスコッティかいにいきたかったの。コーヒーにひたしてたべるのがすき」

「今度、ご主人と買いに行かれたらいいじゃないですか。それにコーヒーをいれるのは佐知子さんの担当に戻してもらいましょうよ」

佐知子さんは満面の笑みでうなずいた。

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