女の命

幼い頃、髪を父に庭で切ってもらっていた。

天気がいい土曜日は、スキップ混じりで学校から帰った。

父がはさみを手に庭から声をかけてくることがあるからだ。

 

父は勤めていた精密機械工場の社長に若くして見込まれ、その娘と結婚、工場を継いだ。

私の知る限り、晩年まで食事や睡眠以外のほとんどの時間を工場で過ごしていた。

 

父に遊んでもらった記憶は数えるほどしかない。

髪を切ってもらいながら「今朝、学校のうさぎに餌をやったときにね…」と、私が当時夢中だった飼育係の話をしても、職人気質の父は「うんうん」と相槌を打つだけ。

それでも髪を切ってもらう時間は、父を独り占めできる特別な時間だった。

 

中学校では女子はセーラー服の肩につかない程度の髪と校則で決められていた。

高校に入ると、みなそろって髪を伸ばし、こっそりパーマをかけたりし始めたものだ。

高校1年の自転車通学にそろそろマフラーがほしいと思う時期だったことを覚えている。

後ろの席の男子に手紙をもらった。

「髪がとてもきれいですね」

うれしさより恥ずかしさが勝って、読んですぐに破り捨ててしまった。

振り返っても、凡庸な容姿の私が異性に外見をまっすぐに褒められたのは、後にも先にもあのときだけだ。

 

それから毎晩ブラッシングを欠かさず、髪の手入れを怠らなかった。

背中まであるストレートのロングヘアが、何十年も定番スタイル。

それから幾度もパーマやカラーが流行した時期があった。

髪が痛んでしまうのが怖くて、一度も挑戦できないまま。

 

 

…この年齢まで来てしまった。

今から10年ほど前、40代に入ったころに体に変調を感じ始めた。

それから症状は年を重ねるごとに進んだ。

薬が頼みの綱。

今は1日6回に分けて飲む。

それでも薬が切れると途端に動けなくなる。

 

シャワー途中に身体がこわばり、動けなくなってしまったのは先月のこと。

どうにか浴室から這い出してきた。

濡れた長い髪が体に貼りつき、体が冷え切った。

そのせいで、風邪をひき、医師によるともう少しで肺炎になるところだったらしい。

 

この一度の出来事のせいばかりはない。

本当はここ数年、長い髪を洗い乾かすことを負担に感じていた。

必死に気づかないふりをしてきただけ。

 

美容院の鏡には、白いものが混ざった黒く長い髪の女が写っている。

目を閉じて待つと、耳元で、じゃぎりとはさみが鳴った。

日差しが降り注ぐなか、庭で見上げていた亡き父のシルエットがまぶたに浮かんでいた。

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